「奔走のエース」

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 エースは今一度、がま口を開けて財布の中を覗き込んだ。
 15ポッチ。
 何度確認しても、袋の中にはそれだけの小銭しか入っていない。
 その金は、一月分の第十二小隊の経費として、辺境警備隊より支給された金の残りの全てだった。ちなみに、あとそれだけの金で、半月は保たせなければならないのである。
「まっずいよなあ……」
 ちゃらちゃらと小銭が軽い音を立てる財布の口を閉じて、エースは深刻な表情で嘆息した。
「15ポッチじゃ、あいつらの酒代を賄えやしないぜ」
 それ以前に、生活費すら払えない。
「大将に言えねえよ、これしか残ってないなんてさ……」
 会議に出かけたゲドを筆頭に、酒場に入り浸っているクイーンとジョーカー、どこにいるか知れない年少二人、と全員出払っていてエース一人の部屋で、隊の会計係はこれから先のやりくりを考えて頭を抱えた。
 こうも貧窮することになった原因は、二つあった。
 一つは酒豪二人の酒代。エースとしてはこちらを声高に叫びたいところだが、「そこを何とかするのが会計係の役目」とあっさり言われて終わるのは目に見えている。
 しかしそれよりも問題なのは、もうひとつの原因だった。
 かねてよりそれとなく誘いをかけていた第十四小隊のエレーンに再会して以来、エースは甘い台詞でねだられるままに、ビュッデヒュッケ城の酒場やレストランで豪勢に奢り続けていたのだった。
 それ以外にも美少女が通りかかればお菓子を贈る、美女に出くわせば花を捧げるといった具合に隊の経費を使い込むうちに、あっという間に金は目減りしていったのである。
「こんなことがばれたら、ジジイとクイーンになぶり殺しにされる……」
 特にエレーンと何かにつけ張り合っているクイーンが激怒するであろうことは想像に難くない。エースは青ざめ、ぶるっと身体を震わせた。
「だ…、大体、アイラの奴が馬鹿の一つ覚えみたいにソーダばっかり頼むのも悪いんだ」
 などと八つ当たりを力なく呟いてみたが、さすがに責任を感じたエースは悄然と肩を落とした。
「レストランで皿洗いでもしてみるかな……」
 一人で勝手に任務を受けるわけにもいかないので、とりあえず城の中でできそうな仕事を思い浮かべてみる。
「風呂屋の番台にいるってのもいいかもなー。女湯が覗けるかもしれないし」
 反省しているようで懲りていない台詞を吐きつつ、仕事の口を探すために、エースは城の中を巡ってみることにした。

 エースの当ては、ことごとく外れてしまった。
 確かに、ここのところ城の住人が増えてどの店も繁盛しているのだが、どこもつい最近、人の補充をしたばかりで、エースの申し出は全て断られてしまった。レストランのメイミなどには、
「あ、悪いけど。今いらないよ」
 と、あっさり一言で断られる始末である。
「ちくしょう、どうすればいいんだ……」
 城の噴水の淵に腰を下ろして、エースはがっくりと肩を落とした。
 そして、そうっと自分の腹を撫でる。
 実は、そこには、なけなしのへそくり3000ポッチが、腹巻に縫い込んで隠してあるのだ。隊の金ではなく、エース自身がこつこつと貯めた金だった。
「こいつを使うしかないのか……?嫌だなあ……はあ」
 しかし、この金を有り金全て出しても、第十二小隊6人の半月分の生活費にはまだ少々足りそうにない。あと3000ポッチは欲しいところだ。
 その時。はああ、と溜め息をついたエースの目に、宝くじ売り場の掲示板の前で狂気する男の姿が飛び込んできたのだ。
「やった!やったよ!!ついに10万ポッチが当たったぞうっっ」
 見知らぬ男の雄たけびに、エースは目を皿にした。思わず立ち上がり、男を凝視する。
「じゅ、10万ポッチぃ!?」
 男は自分が握り締めた宝くじの番号と、掲示板に張り出された一覧とを何度も見比べた後、宝くじ売り場にいそいそと出向き……そしてエースの目の前で、本当に札束を受け取って、足早に立ち去ったのだった。
 エースは呆然とその姿を見送った後、我に返って呟いた。
「10万ポッチ……」
 その言葉は、金策に窮しているエースの耳に、とても甘美に響いた。
 しかし、ふるふると首を振って、エースは自分を落ち着けようとした。
「待て待て、必ず大金が当たるとは限らないんだし、第一全額つぎ込んだ挙句に全部外れたら、元も子もない」
 自らにそう言い聞かせつつも、いいように遊ばれているエレーンに金をつぎ込むのを止められない「勝負師」なエースの血は、既に大金獲得に向けて抑えようもなく熱くなってきてしまったのである。
 とりあえず詳しい話を聞くだけ聞いてみようと、エースは売り場に向かってみることにした。
 ビュッデヒュッケ城の宝くじ売り場にやってきたのは、これが初めてである。売り場の窓口を見ると、偏屈そうな老女が、こちらを見つけてじろりと睨んできた。
「なんだい、兄さん」
「いや……、いまの奴だけど、本当に10万ポッチが当たったのかい」
  エースがそう尋ねると、老婆はより一層不機嫌そうになった。
「そうだったら、なんだっていうんだい。あれだけ大騒ぎしているのを見たら、それで分かるだろ。あの番号は売り出してないと思ったから、2等に載せといたっていうのに、まったく……
「へ、なんか言ったか」
「いや、独り言だ」
 女は首を振ると、急にずるそうな表情になり、愛想笑いをした。
「それで?一枚買っていってくれるのかね」
「買ってもいいんだが、当たるのか?」
 不安を隠しながらエースは問うたのだが、老女にはあっさり見破られたようである。
「おや、金に困っているのかね。そうさなあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦というでな。それこそ運の問題だ。そうはいっても、当たらねば、兄さんには困りものだしの」
 思わず頷いて同意してしまったエースを見やり、老婆はちらと笑うと、急に顔を近づけてきて小声で囁いた。
「いい事を教えてやろう。ここの宝くじはな、10枚買うと必ずといって良いほど当たりくじを引くことができるのじゃ」
「本当か?」
「それでも心配だというなら、隣で商っておる占い爺さんの所に行って、当たりくじを占ってもらうのも良いじゃろ」
「うーん……」
 それでもエースが心決めかねていると、駄目押しの一言を言って寄越した。
「まあ、買わねば当たらぬな。さっきの10万ポッチの男みたいに」
 ぴく、と反応したエースを見やり、マーサは密かにほくそえんだ。
 さっきの男にはうっかり大きな当たりを出してしまい、大損をしてしまったが、このカモを使って、いくらかでも取り戻そうと考えたのである。
 何も知らないエースはつばをごくりと飲み込み、決心してマーサに向かって言った。
「10枚くれ」
「あいよ。一枚100ポッチね」

 所持金が3000ポッチなので、単純計算では30枚買えるが、さすがに全額つぎ込むのは躊躇われ、とりあえずエースは宝くじを10枚バラで買った。
 その宝くじのうち一枚が、4等を引き当ててしまったのが、エースの運の尽きだった。
 4等は3000ポッチである。この金があれば、今月分の隊の金は賄える。クイーンらにも、なんとか許してもらえただろう。
 しかし、自腹で3000ポッチを出したエースは、そこで欲をかいてしまった。
 その3000ポッチ全てを、また宝くじにつぎ込み、今度は全て外してしまったのである。
 それからは目も当てられない有様となった。
 残りの金で宝くじを買う。アイラがいない時を見計らって占いに通い、当たりくじを占ってもらう。4等が当たる。その金をつぎ込んで、また外す……。

 ゲドらには内密で通っているので、その日もこそこそとエースは宝くじ売り場に通っていた。
 今日は当たりくじの発表日である。掲示板を見ると、また4等が当たっていた。
 既に持ち金は1000ポッチを切っている。さすがに危機感を感じたエースは、宝くじはこれで止めにしようと思い、売り場に換金に向かった。
 しかし、宝くじの神様は彼を手放そうとはしなかった。
「あら、エース。こんなところで何をしてるのかしら?」
 換金したばかりの金を手に持ったまま、エースはぎくりとし、後ろを振り返って肩の力を抜いた。
「エレーン……」
 第十四小隊の紅一点が、色っぽい微笑でエースを見つめた。
「いや、宝くじが当たったんでね、金に替えてるのさ」
 豊かな胸元の強調されたエレーンの出で立ちにうっとりとした視線を送り、止せばいいのにエースはいらぬ見栄を張ってしまった。
「良ければ、どこかで飯でも奢るぜ」
「あら……いいの?」
「勿論。ほら、こうして金もあることだし」
「素敵」
 エレーンに腕をとられ、腕を組んでレストランへと向かいながら、エースはこれで宝くじを止めようと思っていたことなどすっかり忘れてしまい、
(まあ、また買えば当たるだろ)
 などと気楽に考えていた。

 しかし、事はそう上手くは運ばない。
 それ以来、全く当たりくじに出会えなくなってしまったのである。
「まずい……まずいぜ」
 エースは青ざめ、手元に握った最後の6枚の宝くじを見つめた。
 これが外れると、残りの現金は85ポッチ。もう宝くじは買えない。
「頼むから、当たっててくれよ……」
 祈るような気持ちで宝くじの当選番号を1等から確認していったエースは、次第に暗い気持ちに陥っていった。
「3等……外れた。4等は……ちくしょう……」
 頼みの4等も今回は外れ、エースは途方にくれてその場に立ち尽くした。
「どうしろっていうんだよ……」
 力なく呟き、未練たらしくもう一度、番号を確認するが、6枚の宝くじは全て空クジであった。
「くそっ……?」
 宝くじを破り捨てようとしたエースは、そこでふと動作を止めた。
 4等の下に出ている、特等をまだ見ていないことに気付いたのだ。
「どうせ当たってないんだろうけどな」
 と、半ば自棄になりながら5枚分を確認し、外れていることに力なく笑い、最後の一枚を見て……手が止まった。
「……当たった……」
 特等の番号を凝視し、エースは呟いた。確かに、当たっている。
「やった……、やったぜーっ!」
 思わず快哉を叫び、意気揚揚と売り場の窓口に向かったエースは、そこで首を傾げることになった。
「ほい、おめでとさん」
 マーサにそういわれて渡されたのは、現金ではなく、一冊の古びた本だったのである。
「何……これ?」
「何って、特等の景品さ。知らなかったのかい、特等は現金支給じゃないんだよ」
「嘘……」
 体の力が抜けそうになりながらも、エースは何とか気を取り直して、この本を鑑定屋に持ち込むことにした。いかにも古くて、価値がありそうではないか。
 が。
「ほほほーい、ざあんねんでしたお客さーん。この本は『ふるい本8かん』と言ってですねえ、売れないんですよーい」
 奇抜な格好の鑑定屋にそう告げられ、エースは年甲斐もなく泣きたくなってしまった。
「何でだよー……」
「…………あのぉ…………」
「ひっ!」
 いきなり気配を全く感じさせず、怨念のような暗い声の男に背後から声をかけられ、エースは悲鳴を上げた。
「あ……、あんたかよ」
 何度か図書室に足を運んだことがあるので、顔は知っていた。図書室の司書のようなことをやっている男だ。
 アイクは陰鬱な表情を変えないまま、エースが手に持っている本を指差した。
「その本…………、図書室に寄贈……しませんか……?」
「寄贈ってのは、タダでってことだろ。駄目だ駄目だ、これが俺の最後の財産なんだからな」
「…………」
 本を胸に抱きしめて勢い良く首を振ったエースを、アイクはジト目で見つめた。
「……………………寄贈……………………」
 その目は、まるでお百度参りを見られた女のように、とても恨みがましかった……。
「そ、そんな目で見られたって、渡せないぜ」
「…………………………………………」
「……だから、駄目だって……」
「……………………………………………………………………………………」
「……分かった。分かりましたよ、寄贈すればいいんだろ……」
 根負けしたエースは涙を目尻に浮かべて、アイクに本を手渡した。
 アイクは、微笑した、のかもしれなかった。その恐ろしげな表情が、微笑と呼べればの話だが。
「…………ありがとうございます……………」
 そして、彼はいずこへともなく、無音で立ち去っていったのだった……。

 その後、再び無一文になったかと思われたエースだったが、靴の裏に隠していた小銭を使って、マイクのカードゲームに挑んでいるところを、エレーンから宝くじの一件を聞かされ、不審を感じたクイーンによって発見された。
 そして事の次第を白状させられ、第十二小隊の面々に、風の魔法やら火の魔法やらで散々に懲罰された後、「地道に稼げ」と一人で平頭山に行かされ、怪物退治をやらされた……という噂が、ほんの一時、ビュッデヒュッケ城の笑い話として流れたのだった。



・・・THE END・・・



単にアイクが書きたかっただけかもしれません。エース可哀想(笑)